DAISYを語る
しかしながら、なぜ、世界の録音図書製作者のほとんどすべてが結集し、デジタル録音図書の標準規格であるDAISYを作成することを決定したのでしょう? その答えは、DAISYを使うことによって、印刷された本や雑誌と同じ様に録音図書を構造化することができるからだといえるでしょう。 つまり、章、見出し、段落、さまざまなレベルの項目、表および目録などを含む階層を作ることができ、情報が構造化されることにより、ページや章、段落内をナビゲートすることができるようになるからです。 また自分が本のどの部分を読んでいるのかが分かるようになりますし、読むスピードも変えることができます。
手始めに、保存と配布にCD-ROMが使われ、小型カセットのようにいくつものアイテムからなるのではなく、一つのアイテムからなる録音図書が作成されました。 DAISY図書はPCに搭載された読み上げプログラムを使って読むことができますし、或いは特別なDAISY再生機器を使っても読むことができます。 DAISY1がDAISY2.0に更新されたときには、録音図書 はMP3を使って圧縮され、一般のMP3CDプレーヤーで再生できるよう、一定の決まりに従ってファイルが並べられました。
1994 年10月、既にDAISY構想実現の基礎が、スウェーデンのハンディキャップ・インスティテュートを訪れた日本のシナノケンシ社に所属するプレクスター社の池田氏、村上博行氏および西澤達夫氏によって練られていました。 3人は録音図書読み上げ用CD-ROMプレーヤーのプロトタイプを持参していました。 プレクスター社は日本の天皇から、日本の視覚障害者向けデジタル録音図書の開発を委任されていたのです。 プレクスター社の皆さんは、TPBから協力の誘いを 受け、日本に帰国しました。 更に、英国王立盲人協会(RNIB)と、オランダおよびデンマークの視覚障害者教材図書館も、協力に関心を示しました。
1994 年10月、北欧会議が開かれました。 1995年3月には、最初のDAISY国際ワークショップがストックホルムで開催されました。 その夏、IFLAを代表 する河村宏氏、RNIBのクリス・デイ氏、プレクスター社の村上博行氏および西澤達夫氏、TPBの常任理事であるシェル・ハンソン氏とインガー・ベックマ ン・ヒルシュフェルト氏が、ファルチェピングのラビリンテン社で会合を持ち、協力に関する具体的な計画が作成されました。 そして1995年12月、プレク スター社との協力と、DAISY再生機器開発の継続が、上田市のシナノケンシ社最高幹部との間で確認されました。 シナノケンシ社長の金子氏は、のちに DAISYコンソーシアムとなるこの自由な共同体の代表者の来訪を歓迎し、上田市郊外の山中にある同社の研修センターで、日本の厚生省の代表と、世界盲人 連合の事務局長ペドロ・ズリタ氏を招いて、セミナーが実施されました。
IFLAの視覚障 害者図書館分科会は、当然のなりゆきですが、最初の協力基盤となりました。 1995年8月にイスタンブールで開かれた分科会議では、広い範囲に渡る将来的 な協力について協議されました。 しかし、面白いことに、協力体制が組織され、確立されたのは、アメリカの視覚障害者および身体障害者のための全国図書館 サービス(NLS)のCEOであったフランク・カート・キルケ氏の尽力によるものでした。 キルケ氏は1995年4月、トロントでの未来のデジタル録音図書に関する国際会議を招集し、その会議の席で、解決策があるという意見を持ち、またIFLAの支援も受けているヨーロッパの小さな国々から刺激を受けたので す。 一方、それらヨーロッパ各国もまた刺激を受け、ともにDAISYを開発していくことを決意したのでした。 当時IFLA視覚障害者図書館分科会の会長をつとめていた河村宏氏が、この連携を推し進める原動力となりました。