DAISYを語る(スウェーデンにおける録音図書製作50周年)
トロントでの会議からわずか1年後、DAISYコンソーシアムが設立されました。
河村宏氏は当時東京大学図書館の司書で、IFLAセクションに長い間携わっていました。 数年後河村氏は大学図書館を辞し、日本障害者リハビリテーション協会 (JSRPD)の部長となりましたが、この地位においても、日本の視覚障害者図書館のデジタル化に関わることになりました。
河村宏氏は更にDAISY再生機器の開発にも携わりました。 そして1996年秋から1997年春にかけて実施された、プレクストークプレーヤーの世界試験のための資金を獲得することに成功しました。 この試験は約30カ国で実施され、視覚障害者がこの再生機器を試すことができました。 またこの試験を通じて、デジタル録音図書がはじめて導入されることになり、数ヶ国語による録音図書が試作されました。 スウェーデンでは数人の公共図書館の録音図書利用者が試験に参加しました。 残念ながら、いくつかの試験国では、税関がこの不可思議な機械を通さなかったために、或いは不当に高い関税を要求したために、試験に参加することができませんでした。 河村宏氏はまた東京での評価会議のための資金も獲得し、多くの国々からの代表がはじめて一堂に会し、これらの国々は後にコンソーシアムにも参加することになりました。
河村宏氏は、最初の段階から、発展途上国の障害者がデジタル録音図書の開発から取り残されるべきではないと決心していました。 そして日本の国際協力機構(JICA)にこの活動のための資金援助を申込み、これを獲得しました。 公開標準規格の制定に向けたDAISYソフトウェアの開発はまた、河村氏にとって重要な優先事項でした。 そして、プレクスター社にとっても河村氏は非常に重要な役割を果たしました。 なぜならプレクスター社は同社の再生機器が市場を獲得するまでに何年もかかるので、ともすれば忍耐を失ってしまう可能性があったからです。 河村氏は人と組織の広いネットワークを築き上げ、DAISYに関する情報を広めていきました。
DAISYコンソーシアム設立におけるもう1人の重要な人物は、RNIBの スティーブン・キング氏です。 キング氏もまた次世代録音図書の仕様を作成したヨーロッパ盲人連合(EBU)技術委員会の会長でした。 1995年11月、スティーブン・キング氏と、同じくRNIBのクリス・デイ氏がスウェーデンを訪問し、私たちはともにより具体的な協力計画を描き始めました。 クリス・デイ氏 も、プレクスター社との協力が最終的に確認された1995年12月の上田市での会議に参加しました。 コンソーシアムを設立するという発想は1996年1月 のEBU会議で発表され、同年5月にコンソーシアムが現実のものとなりました。 ストックホルムのホテルの地下で、コンソーシアムの規約がスティーブン・キング氏とインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏によって書かれ、最終的に同年10月のケンブリッジにおける会議で承認されました。
イギリス、オランダ、日本、スウェーデン、スイス、スペインおよびフィンランド(オブザーバーとして)からあわせて10団体がDAISYの構想を発展させていくDAISYコンソーシアムに参加するよう招かれました。 そして1996年5月にストックホルムで最初の会合を持ち、ケンブリッジ会議においてドイツの組織が加わりました。 1997年には、オーストラリアおよびニュージーランドの組織と、デンマーク国立盲人図書館と、アメリカ合衆国の視覚障害者およびディスレクシアのための録音サービス機関(RFB&D)が参加しました。 その少し後で、カナダ盲人協会(CNIB)および韓国点字図書館が加わりまし た。 これらの組織がコンソーシアムを構成し、正会員となっています。 現在コンソーシアムには約100の準会員がおり、プレクスター社、ヒューマンウェア社 およびマイクロソフト社などの賛助会員も参加しています。 また多くの国々では、国内DAISYコンソーシアムが設立され、次々と国際DAISYコンソーシアムの会員になっています。 (www.daisy.org参照。)
最初の数年間は運営委員会の仕事が非常に煩雑だったので、すぐにコンソーシアムの世話役として広く責任を負う役員が必要であることが明らかになりました。 そしてTPBのインガー・ベックマン・ヒルシュフェルト氏がコンソーシアムの会長に選ばれました。 役員会が設立され、プロジェクトマネージャーが雇われました。 それが、ジョージ・カーシャ氏です。
ジョージ・カーシャ氏は、1997年5月に開かれたいわゆるシグツナ会議において、ファイルフォーマットをWaveからSMILに変更することを提案し、大変重要な役割を果たしました。 1997年秋、既にお話しましたようにカーシャ氏はプロジェクトマネージャーとして雇用されましたが、この決定はコンソーシアムを世界的な組織へと発展させる上で重大な影響を与えました。 現在カーシャ氏はコンソーシアムの事務局長であり、組織を一つにまとめている非常に重要な人物です。 カーシャ氏はまた教育の才能があり、莫大な仕事量をこなしています。 カーシャ氏のおかげで、DAISYコンソーシアムは多くの重要な会議に代表を送り、また公開電子図書フォーラム、W3Cコンソーシアムとの会議にも参加することができたのです。 これらの組織とコンタクトをとることによって、DAISYフォーマットがアメリカ合衆国において教科書の標準的なファイルフォーマットとなることができたのです。