私は夜、枕に顔を押し当て叫ぶ I scream into my pillow at night ~ ロシアのウクライナ侵攻から1カ月、知的障害者の家族の証言集~ 証言集の翻訳にあたり  インクルージョン・ヨーロッパ(Inclusion Europe)は、知的障害者や家族団体のヨーロッパ・ネットワークで、ヨーロッパ39カ国の78団体が加盟しています。ウクライナからは、全ウクライナ知的障害者NGO連合(All-Ukrainian NGO Coalition for Persons with Intellectual Disability)がメンバーとなっています。    インクルージョン・ヨーロッパは、ロシアのウクライナ侵攻後、全ウクライナ知的障害者NGO連合のメンバーと、電話、Eメール、メッセージアプリで直接連絡を取り、状況はどうか、必要なものは何か、等聞き取りました。接続の不安定さ、ウクライナメンバーの危険な状態等により、聞き取りは困難を極めましたが、ウクライナ全土から多くのメンバーが応えてくれました。    インクルージョン・ヨーロッパは、ウクライナの障害のある人たち、家族が日々直面している悲惨で深刻な状況を、世界の人たちと共有するために、「私は夜、枕に顔を押し当て叫ぶ」と題する、知的障害のある人の家族の証言集として公開しました。    突然平穏な日々を奪われ、砲撃や爆撃により命が脅かされる中、障害のある家族をいかに守るか、苦悩する家族、特に母親たちの悲鳴が聞こえます。国内のより安全な地域や、国外に避難したくても、環境の変化や移動の負担に耐えられない障害のある人と家族、特別な移動手段や付き添うボランティアの不足で、動くことができない障害のある人と家族がたくさん取り残されています。  一方、破壊が進む街に留まり、これらの家族に食料、水、医薬品等必要物資を届けようと苦闘する支援者たちの姿があります。    長文のため一部割愛も考えましたが、どの声も切実で、とても割愛することはできませんでした。関心のある個所をご一読いただき、人々の状況を想像し、共有していただければ幸いです。  上野 博    2022年4月13日   私は夜、枕に顔を押し当て叫ぶ I scream into my pillow at night ~ ロシアのウクライナ侵攻から1カ月、知的障害者の家族の証言から ~ (インクルージョン・ヨーロッパのウェブサイト3月25日掲載より) □ この証言集は、インクルージョン・ヨーロッパが、Eメール、メッセージアプリ、電話を通じて受け取ったメッセージを編集したものです。証言は地域ごとにまとめ、時系列で表示することで、事態がいかに推移したかを把握することができます。一つの都市や州からは、1人または複数の人が証言してくれました。写真はご家族から提供されたものです。 チェルカシー(Cherkasy)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  2 チェルニヒフ(Chernihiv)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 ドニプロペトロフスク(Dnipropetrovsk)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 ドネツク(Donetsk)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 イワノフランキフスク(Ivano-Frankivsk)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 ハルキウ(Kharkiv)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 ヘルソン(Kherson)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 フメリヌィツキー(Khmelnytskyi)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 キロヴォフラード(Kirovohrad)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 キーウ(Kyiv)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 リヴィウ(Lviv)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 ミコライウ(Mykolaiv)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 オデーサ(Odesa)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 ポルタヴァ(Poltava)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 スーミ(Sumy)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 ヴォルイン(Volyn)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 ザカルパッチャ(Zakarpattia)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 ザポリッジャ(Zaporizhzhia)州  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 ジトーミル(Zhytomyr)州 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24 ウクライナ国外 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 どのようにしてこの証言を得たか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 全ウクライナ連合 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29 チェルカシー(Cherkasy)州 3月3日 □ 2月24日以降、私と子どもたちは、たびたび防空壕や地下室に入るようになりました。知的障害や身体障害のある子どもたちは、怖がり、パニックになります。この子たちにとっても、親にとっても大変です。時には、大きい子どもたちを引きずって隠さなければなりません。 □ ハリキウやウクライナの他の都市から、避難民が到着し始めているのは知っています。それらの都市は激しい砲撃を受けています。この人たちは、服や毛布など、多くのものを必要としています。 チェルニヒウ(Chernihiv)州 3月3日 □ 窓の外は爆撃されています。私たちはアパートの一室で、なぜ外に出かけられないのか、なぜ街まで行かれないのか、を理解できない成人した子どもたちと一緒に座っています。彼らには問題行動やてんかん発作があります。 □ 私たちは、成人した子どもを一人にしておけないので、店に買い物に行くことができません。店には行列ができています。すべての商品があるわけではないし、長蛇の列です。これでは生きる術がありません。 □ 長期保存できる食料、抗けいれん薬、抗炎症剤、鎮静剤などが必要です。水はまだありますが、飲むことはできないので飲料水が必要です。   □ 活動している団体の多くは、ウクライナ軍守備隊へのボランティア支援を行っています。これは誰にとっても最も重要なことであり、街の防衛と戦いの勝利にとって必要なことです。私たちは、近所の人、友人、家族など、私たちの代わりに店に行ってくれる人を探しています。   □ 家族のニーズは日に日に高まっています。   □ 暖房燃料も食料も不足しています。状況は悪いです。   □ 経済的支援を求める声は大きいです。戦争が終わったら、私たちは、ロケット攻撃で破壊された建物の修復をしなければなりません。 □ 私には知的障害、行動障害、そしててんかんもある息子がいます。私たちの子どもたちや家族の生活は非常に辛いものです。もちろん私自身にとってもです。 ドニプロペトロフスク(Dnipropetrovsk)州 3月11日  私たちの団体の責任者は、連合と緊密に連携を取り、すべての子どもと母親の避難に当たっています。ウクライナ政府も、現在のところは避難に協力してくれています。 チェルニヒウ ドネツク(Donetsk)州 3月21日  マリウポリ(Mariupol)より (何日も連絡が取れなかった) □ 私はマリウポリに住んでいます。25日間水が出ませんでした。街は激しい空襲を受け、避難行動を組織することすらできません。通信手段は断たれ、銀行も爆撃されました。 ここは地獄です。 □ この辺りはロシア軍に制圧されており、誰も出入りできません。今私は、残されている人たちを助けることさえできません。しかし、団体の仲間たちが何人かを救出しました。 マリウポリの街はもう見る影もありません。 イワノフランキフスク州(Ivano-Frankivsk) 3月17日 □ 私が所属する知的障害のある人の支援団体は、ウクライナ西部にあります。この地域では、現在のところ地上での活発な軍事作戦はありません。しかし、状況は厳しいです。 □ 常時服用する薬の入手は徐々に困難になっており、教育、リハビリテーションプログラム、社会福祉サービス資金が削減されました。睡眠不足や心の安定を失い、人々はストレスの多い状況に置かれています。 ハルキウ(Kharkiv)州 3月7日 ハルキウ市 □ ちょうど今週、障害のある人がいる家族が、ウクライナ・カリタス(Caritas)を通じて、電車、車、可能な限りの手段で、彼ら自身で避難しました。彼らは非常に強いか、または愚かです(私も含めて)。 3月8日 ハルキウ市 □ ハルキウでは現在、どの銀行の支店も営業していません。営業していたとしても、その地域は時おり砲撃を受けています。 □ 一言でいうと、私たちの街では多くの人が十分な食料を持っていて、みんなでそれを分け合っているのです。誰かが買ってみんなに配ります。店はどうにか営業していますが、置いてある物はとても少ないです。 □ 人道支援団体が食料を持って度々やってくる地域もあります。必要物資も持ってきてくれ、比較的落ち着いた状態です。 □ 薬局は現金でも銀行振り込みでもだいじょうぶです。 □ 家にもどこにも家族をおいておけないので、外には出られません。助けてくれる人もいないし、支援システムもありません。 □ 爆撃が絶え間なく続き、明日がどうなるのかまったくわかりません。明日は誰が生きているのだろうか。毎朝みんなで確認します。誰が生きているか、どこにいるのか、誰が避難したのかと。多くの子どもたちは救出されましたが、障害のある若者は取り残されたままです。 3月8日 ハルキウ市 □ 私たちの団体のメンバーの母親には、20歳になるダウン症の息子がいます。学校の生徒や関係者とともにウクライナ西部に避難し、今はリヴィウ(Lviv)の近くにいます。彼らはお金に困っています。母親は職を失い、息子の年金が唯一の収入だからです。しかし彼らは、この学校のダウン症の女の子の世話をするようになりました。しかし、彼女に親はなく、私の理解では、この少女は銀行のカードを持っていません。つまり、この母親は一人でこの子の面倒をみていたのです。 3月8日 ハルキウ市 □ 私はハルキウの出身ですが、今は100km離れたところにいます。この辺は戦闘はありませんが、遠くに爆音が聞こえます。 □ 人々はショックを受けています。各地から着の身着のままでやってきました。私は友人の家に滞在し、11人がひとつの家で暮らしています。 □ 私は、同じ団体の、障害のある子どもや大人がいる15家族と連絡を取り合い、彼らがどこにいるかを把握しています。まだハルキウに留まっている家族、州内の他の地域に出た家族、ウクライナ西部に避難した家族がいます。国外避難した人たちはいません。 □ 厳しい状況があります。あるダウン症の女の子の母親はがんを患っていますが、必要な薬が手に入りません。 □ 通信は困難で、まったく孤立してしまうこともあります。 3月9日 ハルキウ市 □ 私は一日中、道路を歩いています。連絡が取れないこともしばしばあります。今日、しばらくの間滞在する目的地を決めました。おそらく明日には到着するでしょう。ハルキウには家族が残っています。 3月12日 ハルキウ市 (この通話中、背後に砲撃音が響いた) □ 私はハルキウにいます。爆撃と銃撃があります。物価はさらに値上がり、家族全員には十分ではないですが、私たちにはお金がありません。銀行は営業していますが、銀行まで出かけることができません。すべてオンライン・バンキングを利用しているため、現金がないのです。 □ 私は団体のスタッフとして、家族を支援しています。役員は3人で、メンバーは15人です。 □ 住民は常に銃撃を受けており、多くの家屋やインフラ設備がすでに破壊されました。 □ 私たちの街では17日間、何も機能せず、交通機関も運行していません。食料、医薬品、燃料が不足しています。ボランティア団体は、高齢者、子ども、障害のある人への支援を行おうとしています。 □ 支援団体の多くは、生命への脅威が非常に高いため、ほとんど活動できないでいます。空襲警報は鳴り止まず、ロケット砲による攻撃、航空機による爆撃が行われています。 多くの人が家を失いました(家屋は破壊され、暖房、電気、水もありません)。 □ 子どものいる女性は、希望すれば、ハルキウから他のウクライナの都市、または外国への避難を支援されます。 □ しかし、障害のある子どもを持つ多くの家族が市内に残っています。 3月15日 ハルキウ市 □ 残念ながら、家族からは何の連絡もありません。電話もつながりません。数日前、やっと一人の母親と連絡が取れました。彼女は他のメンバー数人を助けなければならないとのことでした。 □ どうやら、そこではすべてが非常に悪いようで、連絡手段だけではありません。 3月15日 ハルキウ市 □ 砲撃を受けています。私は防空壕に隠れています。 □ 家族の人数にもよりますが、一家族当たり1ヶ月に450?600ユーロは必要です。 □ 銀行はインターネットバンキングしか使えません。 □ 今後数日間は、外出や街中の移動は禁止されています。強力なロケット攻撃がある可能性が高いためです。 □ そのため、支援金の受け取りや分配は、銀行のカードを通してのみ可能です。 ヘルソン(Kherson)州 3月9日 ヘルソン市 □ 状況は悪く、銀行は営業していません。商店はまだ開いていますが、現金でしか買えません。私たちは何でも必要です。みんなこの街に留まっています。子どもたちは42人です。 3月16日 ヘルソン市 □ 人道支援は何もなく、いたるところにロシア軍がいます。クリミアに家族がいれば行くことはできますが、クリミア行きを望む人はいません。 フメリヌィツキー(Khmelnytskyi)州 3月23日 フメリヌィツキー市 □ 私は大都市フメリヌィツキーに住んでいます。一年中賑やかな街です。いつもたくさんの人が通りにいて、足早に歩いています。道路は混みあい、道路脇には住宅が密集して並んでいます。  春が訪れると、この街は本当に幻想的な雰囲気になります。通り、公園、庭園にはたくさんの樹木が花を咲かせ、街中緑に染まります。栗や野生のリンゴ、サクランボの樹が連なる長い小道では、鳥がその実をついばんでいます。春には信じられないほど美しくなる、素晴らしい植物園があります。普段から私たちの街全体が、ひとつの大きな花畑になるのです。樹々だけでなく、チューリップ、水仙、牡丹、バラ、ライラックなど、花壇の花も咲き乱れます。  ああ、私はこの街をこよなく愛しています。私の子どもたちもここで生まれました。毎日、私は 「特別な」娘と一緒に外に出かけました。私たちは街中を歩きました。私は彼女に自然の美しさを見せ、道すがらそれぞれの季節の話をしました。 □ そして、あの恐ろしい暗黒の日、2月24日がやってきて、私たちの生活のすべてをひっくり返したのです。生き抜くための単調な日常が始まりました。今は街に毎日サイレンが鳴り響いています。子どもだけでなく、大人にとっても怖いです。  私たちはこれまで、戦争というものを知りませんでした。私たちは今まで、武器を手にしたことはありませんでした。そして今、私たちはこの恐ろしい戦争の恐怖を日々感じているのです。私たちは、毎日ウクライナの愛国者たちを埋葬しなければなりません。私たちの心は痛み、血を流しています。 □ 「どうかウクライナをお許し、お救いください」、神への唯一の祈りと言葉です。それは湿った地下室に逃げ込まなければならないが、娘がそれを拒否した時の私の感情です。彼女には、何が起こっているのか理解できず、「侵略者」という言葉も知りません。彼女はこう言いました。「みんな良い人よ、きっと私を傷つけないわ」。 □ 私は痛みとともに孤独を感じていました。私は娘と一緒に、国内避難民を支援する仕事に行かなければなりません。彼らはロシア軍に家を破壊され、住む場所がなくなりました。娘は母親以外の誰とも一緒にいられないので、私はいつも娘を連れて仕事に行きます。娘は私が傍にいないと、食べることも、飲むことも、寝ることもしません。 □ 私は夜、枕を顔に押し当て叫びます。私には、まるで地球全体が痛みで震えているように思えます。私にできることは何もなく、無力さを感じます。私に戦争を止めることはできません。 □ でも、今日、娘に聞かれました。「ママ、どうして泣いているの?」、私は涙を拭きながら答えました。「外は戦争なのよ」。娘はまた聞いてきました。「戦争って痛いの?」。私は何も答えられませんでした。彼女はすぐに数枚の絵を描いて、私に手渡しました。「ママ、これを見て、泣かないで」。私はこの絵を見て、彼女の心に潜む恐怖に気づきました。 □ これまでにもたくさんの苦しみを経験してきましたが、今、ウクライナに起きているこの苦しみは、恐怖、絶え間ない痛み、涙、絶望、恐れです。神への信仰だけが、私たちに力を与えてくれます。 □ すでに十分すぎるほどの人が死にました。ウクライナの国は死にかけています。罪のない人が死んでいます。罪のない子どもがたくさん死んでいるのです!私たちは、太陽が輝き、再び花が咲き、庭で植物を育て、子どもを産む日が、また必ず来ることを信じています。しかし今は、私たちには助け、支援、そして理解が必要なのです。 キロヴォフラード(Kirovohrad)州 3月3日 キロヴォフラード州 □ 私は、障害児・者の母親の会の会長をしています。キロヴォフラード州では、幸いすべてが平穏です。今日、開戦後8日で初めて空襲警報が発令されませんでした。まず薬とおむつが必要です!薬局には何もありません。会員の親たちからは、子どもたちの具合が悪いという手紙が届いています。 キーウ(Kyiv)州 3月4日 キーウ州 □ 街は包囲されました。私たちの街は、ベラルーシとの国境地帯にあります。近くの村やチェルニヒウ市ではで戦闘が行われています。薬局では必要な薬がなくなり、日常品もいつもある在庫もすべてなくなり、すでに数日前からお店の棚は空です。市は、地元のミニベーカリーでパンを焼き、牧場から牛乳やジャガイモを配達しています。そこは常に長蛇の列があり、必ずしも全員分を確保できるわけではありません。 □ ミルクやパンがセンターに運ばれてきます。私はセンター長として物資の分配に積極的に取り組んでいます。センターは自治体の機関です。2021年、センターは265人に社会リハビリテーションサービスを提供しました。 □ 今、この街の住民は、食料、医薬品、飲料水、衛生用品、おむつを必要としています。 スラヴィティチ(Slavutich)市近では激しい戦闘が行われているため、毎日サイレンや空襲警報が鳴り響きます。現時点では、この地区の住民は、地下室に避難したり、家にいて廊下や浴室に隠れます。 3月10日 キーウ州 □ 現在、団体のメンバーの多くが子どもを連れ、一時的に国外に避難しています。残った家族には十分な薬がなく、また、薬の値段が非常に高くなっています。日々値上がりしています。商品はまだ店頭で買うことができますが、価格が上昇し始めたので、親たちはすぐにお金がなくなるでしょう。 □ 一部のメンバーとは連絡が取れています。ウクライナに残り、キーウにいる人たちは、私たちの団体事務所に近い2-3地区に住んでいます。 □ 私たちは、終戦後、親に対する心理的なサポートが極めて重要になると考えています。現在、子どもたちの支援は非常に困難な状況です。彼らの多くはストレスにさらされ、以前より多くの資源を、その心理状態の回復に費やされなければなりません。そのための資金はまだありません。私たちの成人した生徒には、先生たちからのより多くの介入が必要となるでしょう。 3月10日 キーウ州 □ 私は、可能な人とは全員と連絡を取り、家族の状態が変化しているかどうかを確認しています。最初のころは、みんなショックを受けていました。その後、そんなひどい状態の中でも生きていくことを覚え始めたのです。そして今、ウクライナの他の都市やキーウ郊外に住む友人や親せきから、死者や破壊の知らせが届くため、苦痛はますます大きくなりました。 □ 今日、連絡を受けた家族は、食料と飲料水はあります。医薬品は購入することができないため、より困難な状況です。しかし、致命的なものではありません。最大の問題は、この状況が不安定であり、いつ悪化してもおかしくないということです。 □ 何より、障害のある人の日常生活を平常に戻すための支援が必要です。キーウには、アイデアや物資を提供するボランティア活動があり、人々はお互いに助け合っています。しかし、状況は街によって違います。家族がどの街のどの地区に住んでいるかにもよります。 □ 家族に食料や物資を届けるためには、距離が障害となります。街は広く、端から端に住む住民間を訪問することは難しいです。自動車の燃料は不足し、歩いて届けるには長距離で危険も伴います。 □ 私たちの団体の主な活動は、特に重度、重複の知的障害のある子どもや若者を支援し、日常活動を提供することです。最大で20家族がこのサービスを受け、その他、多くの家族がカウンセリングを受けています。 □ 現在、多くの家族が避難しており、また、キーウに残っている家族もいます。残念ながら連絡の取れない家族もあります。キーウにいる人たちにも、ウクライナ全土のより安全な場所にいる人たちにも支援が必要です。 □ 日々、問題が積み重なっていくので、手助けが必要になってきています。そして、私は、戦争が終わると、しばらくは経済的に大変なことになるのではと心配しています。なぜなら、ほとんどの人が経済的にも精神的にも非常に疲弊しているからです。私たちのセンターの職員は、現在給料の支給はありません。私たちにも助けが必要です。 3月11日 キーウ市 □ 私は、自閉症、脳性まひ、てんかん、その他の障害のある子どもや若者のための特別な「スクールライフ」を設立しました。私たちの「スクールライフ」は、重度の障害のある子どもたちの学ぶ場です。母親が夜間働いている子どもたちは、「スクールライフ」内で夜を過ごします。現在では、障害のある子どもも大人もみんな母親と一緒にいます。私たちは国の機関ではなく民間なので、現在、教師、指導員、ソーシャルワーカーには給料が支払われていません。 3月11日 キーウ州 □ 電力不足のため、モバイル通信、インターネットが停止され3日になります。市内では、移動式発電機や小麦粉、製パン機などへの電力が緊急に必要です。私は家族とは個人的に連絡が取れています。 3月11日 キーウ州 □ 私たちの団体は、障害のある子どもや大人のいる50家族で構成されています。全家族と連絡が取れ、食料の支援に努めています。今日までは比較的落ち着いていましたが、すでに妨害工作や空爆が始まっています。 □ 残念ながら、私たちの街には、まだ最悪の事態が待ち受けていると思います。国際空港があるので、侵略者は必ず空港を占拠しようとするでしょう。食料の状況は、現在、ほぼうまくコントロールされています。地元のたくさんのボランティア団体が、現場で食料や水を配給しています。 □ 目下の問題は医薬品です。薬局には多くの薬がないか、あってもお金がないため購入できません。毎日服薬しなければならないもの、服薬しなければ生きていかれない薬は緊急に必要です。 3月11日 キーウ州 □ ほとんどが子どもを連れた母親です。私たちの団体は、彼女たちを車に乗せ、ルーマニアやポーランドの国境まで連れて行き、国外避難ができるように支援しています。 □ ほとんどの家族はキーウ市で立ち往生し、移動することができません。私たちはまだ、支援ができています。銀行もまだ営業しています。 3月16日 キーウ州 □ 今のところ、私たちの住むスラヴィティチ市では、固定電話によるインターネット接続はできません。回線が損傷し、いつ復旧するかもわかりません。そのため、銀行もまだ営業していません。 リヴィウ州 3月3日 リヴィウ市 □ 障害のある人とその家族は、今、医薬品、食料、トイレットペーパーなどが必要です。お店では手に入りません。3月はほとんどの親が仕事を休んでいました。そのため、医薬品、衛生用品、食品を購入するための資金が必要です。また、大人用おむつ(S、M、L、XLサイズ)も必要です。 □ また、防空壕での避難中に使用する物も必要です(寝袋、ランタン、モバイルバッテリー、飲料水、マット、折りたたみいすとテーブル、魔法瓶)。 □ 支援が必要な人数は約30人(低所得者、子ども連れの人、中程度または複合的な障害のある人)。 □ また、私たちの街や近隣の村には、ウクライナの他の都市から来た避難民の家族がいます。その数は約400世帯。そのうちの約150世帯が緊急に助けを必要としています。 3月3日 リヴィウ州 □ 戒厳令が導入されて以来、ソーシャルワーカーはオンラインでの仕事に切り替わりました。私たちは、電話やメッセンジャーを使用して、知的障害のある子どもや若者を育てている家族と、常に連絡を取り合っています。 □ 裁縫や料理教室のボランティア職員がタオルを縫ったり、焼き菓子を作ったりしています。事務所に残っていた材料で、地域の人が好むジンジャーブレッドを作りました。 □ 私たちの街も砲撃され、空襲警報が鳴り響くので、家族はいつも家にいます。私たちの支援対象者は、知的障害(重度の自閉症、てんかん、知的障害など)のある子どもや若者のいる家族です。 □ 家族は今、ショック、誤解、無力感にさいなまれています。ビジネス活動がストップしているため、親も働いていません。団体のメンバーでは2家族だけが街から避難しました(海外に1家族と国内に1家族)。 □ 私たちの会員の家族のほぼ半数は地方に住んでいるため、絶対必要な物を買う機会は極めて限られています。 □ 街に住む多くの家族(その多くは地方出身者ですが)は、キーウやオデーサ(Odesa) から来る人たちを受け入れ始めています。そして、すでに、食料、医薬品、衛生用品、大人用おむつなど、必需品を求める多くの声が寄せられています。 3月9日 リヴィウ市 □ 今、私たちは、ロシアのウクライナに対する軍事侵攻と、それに伴う戒厳令の発令という新たな課題に直面しています。状況は極めて複雑で、とても楽観はできません。空襲警報は、昼夜を問わず、毎日何度も鳴ります。体力がない母親たちは、空襲の間、障害のある家族とともに、家に閉じこもっているだけです。 □ 私たちの団体の多くの人々、障害のある子どもや若者と家族を含む約300人が、基本的な生活手段を失い、医療や医薬品もなく、ぎりぎりの生活状態に置かれています。 □ ウクライナのすべての子どもたちにとって、非常に困難な時期であり、私たちは彼らを助けるため、できる限りのことをしなければなりません。障害のある子どもや若者は、私たちと同じように、少なくとも自分たちの生活を満たすことを望んでいます。誰もがこの機会を持つべきであり、自分にはその資格があることを彼らは知っています。彼らの多くは、今、彼らの持つ「特別なニーズ」のために見捨てられ、避難することができません。障害があることは問題ではないことを、私たちは一緒に証明しなければなりません。 3月9日 リヴィウ市 □ センターは、このような危機の中でも活動しています。ウクライナに残る400人の利用者と家族、また、一時的に国外へ避難しようとする人たちへの支援を行っています。 食事を提供したり、職員が駅に常駐し、障害のある人を出迎えたりしています。 3月9日 リヴィウ州 □ 私たちの州の状況は、まあまあ落ち着いています。私たちの団体は活発に活動しています。戦争が始まる前は、私たちのメンバーは、センターに来てみんなで話し合ったり、ボランティアから一部の訓練を受けていました。センターには部屋があります。薬局ではすべてが売り切れなので、医薬品が必要です。親や家族の精神的負担が深刻です。 3月11日 リヴィウ市 □ 私たちは今もリヴィウで、歩けない子、話せない子、重い障害のある子どもたちのために働いています。商店はすべてまだ開いていますが、人々はもうあまりお金を持っていません。私たちは安定した状況にあり、20万人以上の避難民がいます。水、ガス、電気はあります。平和な時代には、どの団体もうまく機能していましたが、今は子どもたちと一緒に家に閉じこもっています。 3月16日 リヴィウ市 □ 私たちは、障害のある大人や子どもが国外に避難する際の経由地となっています。彼らは1日から7日間、私たちのところに滞在します。週に20?40組の避難家族を迎えます。現在、リヴィウには250家族が住んでおり、私たちは彼らをサポートしています。 3月18日 リヴィウ市 □ 私たちは基本的なニーズを何とか満たしていますが、国全体が、戦闘地域以外でも物不足や避難民の増加により、大きな圧力にさらされています。 今日初めて銃声を聞きました。  3月18日 リヴィウ市 □ 現在、障害のある人のいる家族を取り巻く状況は、より複雑になってきています。国外に避難した家族もいます。残った人たちは、戒厳令の影響に苦しんでいます。中には食料品や衛生用品を購入する機会もない家族もあります。ほとんどの家族が、より多くの介入、支援、助けを必要としています。食料、食品パッケージ、医薬品、衛生用品などの援助が必要です。 3月21日 リヴィウ市 □ ロシアの占領者の行動による状況にもかかわらず、私たちの団体はリハビリテーションプログラムを実施し続けていることをお伝えしたいと思います。乳がんの女性へのリハビリテーション、筋骨格系疾患患者へのリハビリテーション、リハビリテーション機器のレンタル、知的障害のある若者や脳性まひの人へのリハビリテーションを実施しています。 ミコライウ(Mykolaiv)州 3月8日 ミコライウ州 □ 街の状況は困難を極めています。毎日砲撃があり、1時間ごとに空襲警報が鳴ります。市内には3,000人以上の知的障害のある子どもと大人がいます。 □ 家族は、子どもや高齢者を置いて、食料や必要な薬を買いに外に出ることを恐れています。家族の状況は憂慮すべきものです。自閉症の子どもは攻撃的になり、ダウン症の子どもは深いうつ状態に陥っています。 □ 脳性まひの子どもたちを、防空壕に連れて行くのはとても大変です。さらに、独居高齢者のためのシェルター、市立高齢者医療センターがあります。また、知的障害のある子どもの寄宿制の学校が3校あります。これらの人々はすべて、この団体のボランティアによって支援を受けています。人道支援物資を分配する部屋もあり、24時間体制で連絡を取り合っています。 3月16日 ミコライウ州 □ 知的障害のある子どもがいる310家族と、戦闘の激しい地域から避難してきた350人が寄宿制の学校にいます。通信手段と電気が遮断されているため、後ほど連絡します。今は、奈落の底から逃げてきた人たちの避難の段取りと、居場所の提供のために、全力を尽くしています。まずは彼らを屋根のある所に収容しなければなりません。 オデーサ(Odesa)州 3月9日 オデーサ市 □ 私たちの団体は、街を離れることができない人たち20人を支援しています。しかし、もうお金がありません。状況は厳しく、人々は怯えています。多くの人が年金を受け取っていません。私たちを助けてください。水はあります。物が手に入らないのです 3月19日 オデーサ市 □ 障害のある若者たちが、兵士のために迷彩ネットを編んでいます。彼らの両親も参加しています。 ポルタヴァ(Poltava)州 3月10日 ポルタヴァ市 □ サイレンが鳴りっぱなしで、今日は8回も鳴りましたが、戦闘はなくロシア人もいません。まだ、とても静かです。お店も銀行も営業しています。私たちの団体は、障害のある若い子どもたちを支援しています。 3月11日 ポルタヴァ市 □ 私たちの施設は、戦争が始まってからずっと開所していません。コロナ感染症の時と同じように障害のある子どもや大人は、自宅で過ごしています。職員も出勤していません。知的障害のある子どもや大人に、リモートによる日課を提供することはとても難しいです。 □ もちろん、私たちは食品パックや衛生用品の支援も必要としています。慈善団体やボランティア団体による人道支援は、主に国内避難民に提供されています。主に食料や衛生用品です。 □ 現在、障害のある子どもや大人への社会的支援が求められていますが、常に空襲の脅威があり(1日に数回)、手早く身を隠すことができないため、人命を危険にさらすことはできません。 3月12日 ポルタヴァ市 □ 何千人もの人が、すでにポルタヴァを離れたにもかかわらず、知的障害のある子どもの母親たちは街に残っています。この子たちは、移動中のストレスに対処することも、見知らぬ街に身を置くことも難しいです。ですので、みんなで固まって、家にいるようにしています。114人います。 □ 街にはロシア軍はいません。この街は、戦闘の激しい地域から避難してきた人たちの通過点になっています。たくさんの人が行き来しています。 □ 被害を受けた人たちが必要とする物を何でも、ボランティアがお店や薬局で買ってきてくれます。そのため一時的な品不足が起きています。商店、銀行、薬局、病院は開いています。 □ 私たちの教育・リハビリテーションセンターでは、子どもたちへのリハビリテーションプログラムを一時的に中止しました。事務所は開いています。団体の建物は、防空壕と 支援物資の集積所となっています。 □ 人々はお金がなくなってきています。特定の医薬品や食料、衛生用品、特におむつを購入することは不可能です。 □ ポルタヴァは、飼い主のいない犬や猫でいっぱいです。人々は街から逃げ出し、鉄道 駅や家にはペットが置き去りにされています。また、ペットを連れて避難した人もたくさんいます。一般家庭のペットだけでなく、保護所の動物も同じです。 スーミ(Sumy)州 3月10日 スーミ市 □ 今、私たちの街は静かですが、空爆や砲撃の脅威があり、ほぼ毎日サイレンが鳴り響きます。そして、私たちは防空壕に隠れます。道路はすべて封鎖され、店には薬や食料が届かず、店内の棚はほとんど空っぽです。物のある店には、食料を求めて長蛇の列ができています。子どもたちはとても怖がっています。公共の事業は機能しており、水は出ますが、医薬品の入手は困難です ヴォルイン(Volyn)州 3月4日 ヴォルイン州 □ 交戦によって苦しむのはすべての人ですが、最も被害を受けるのは弱い立場にある、障害のある人、子ども、そして高齢者です。 □ 私たちのNGO団体は、知的障害のある人とその家族を支援しています。私たちは、 ロシア軍のウクライナ侵攻が始まる前は、活発に活動していました。私たちは、ウクライナ西部、ポーランドとベラルーシとの国境に位置しています。 □ 現在、私たちの街は攻撃されていませんが、1日に5~7回空襲警報が発令されます。初日には飛行場にロケット弾が飛んできたこともありました。何人かの母親と障害のある子どもたちは、ポーランドに避難しました。 □ 私たちの団体は、障害のある子どもや大人がいる60家族を支援しています。通常 これらの家族は、子どもの障害年金で生活しているため、わずかなお金しか持っていません。よって、近い将来、彼らの経済状況は悪化すると思います。多くの人は食料が尽きかけています。彼らには、食料か食料を購入する手段が必要です。薬局では薬が足りません。またはあっても、障害のある人には値段が高くて買えません。衛生用品も同じです。 ザカルパッチャ(Zakarpattia)州 3月4日 ウジホロド(Uzhhorod)市 □ 私たちは西ウクライナに住んでいます。この地域は今のところ静かです。 しかし、私たちの地域には膨大な数の避難民がいます。でも、そのうち障害のある人がどのくらいいるのかのデータはありません。彼らは避難民用のアパートに入居していますが、どこも満室です。学校や幼稚園も居住場所として提供されています。 □ 公式登録された避難民数は約6万人で、そのうちの7~10%が障害のある人と言われています。 □ 商店の品切れ、抗てんかん薬の不足、衛生用品の不足など、危機的状況にあります。 3月5日 ザカルパッチャ州 □ 私は、知的障害のある大人とその60家族を支援する団体の代表を務めています。 □ 私たちの街には、3つの精神神経系患者の寄宿学校と、障害のある人のための地域リハビリテーションセンターがあります。 □ 街の状況は極めて厳しいです。私たちは、現在増加している避難民の支援に加わっています。その数は街の人口よりも多く、その子どもたちもいます。また、ウクライナ軍への支援も行っています。 □ 長期保存可能な製品、食料、おむつ、医薬品、衣類、毛布が必要です。道具、飲料水、懐中電灯なども必要です。 3月11日 ザカルパッチャ州 □ 現在、私たちは障害のある子どもや若者のいる家族とコンタクトを取っています。 私たちは、ソーシャル・ワークショップを運営していましたが、現在は閉鎖しています。家族もこのような状況で、精神的にショックを受けています。 3月12日 ウジホロド市 □ 今朝、5時半に初めて空襲警報が発令されました。障害のある人がいる7家族がいます。人々が次から次へと大集団でやって来ますので、家族リストも増え続けるでしょう。 3月14日 ザカルパッチャ州 □ 少し混乱していてすみません。サイレンが鳴りっぱなしで集中できないのです 3月17日 ザカルパッチャ州 □ 私は、障害のある子どもと若い人のいる、200家族以上を支援している団体の代表を務めています。彼らとは連絡が取れていて、私たちは心理面での支援も行っています。 □ 街は占領下にあります。ガス、暖房がなく、地域によっては電気もありません。私たちには本当に助けが必要です。食料、医薬品、防寒着、毛布、暖房器具に困っています。私たちは家族とも連絡を取り合っています。彼らにも支援物資を配給することが必要です。 ザポリッジャ(Zaporizhzhia)州 3月11日 ザポリッジャ州 □ 今のところ、私たちの街は安定していますが、緊張感があります。サイレンが鳴り止まないほどではありませんが、企業が休業したため職を失った人がいます。多くの人が家を離れ、ウクライナ西部やポーランド、スロバキアなどに避難しました。残った人たちは、ボランティアとして主に防御堡塁を築いたり、占領地からの避難民の支援などを行っています。 □ 州内の多く街では戦闘が行われているか、または一時的に侵略者の支配下に置かれています。これらの街に住む自閉症の子どもがいる親は、暖房がなく、食料は枯渇しようとしている、電気もなく、モバイル通信やカード決済もできない、と報告しています。 □ しかし、最悪なのは、占領者がプロパガンダに使うため住民をコントロールし始めたことです。地元のラジオ局を押収し、ロシアの下でいかにみんなが元気になるかを伝え、瞑想用の音楽を流しながら、神経言語学的プログラミングで使われるようなイントネーションを用いてニュースを伝えています。 □ ベルディアンスク(Berdyansk)、オレホフ(Orekhov)、ポロギ(Pologi)、グヤイポレ(Gulyaipole)、トクマク(Tokmak)は占領下にあります。自閉症の子どものいる家族は、侵略者が道路封鎖をして通行させないため、家を出ることができません。 □ 今日、私たちの街では、薬が品切れになっています。戦争開始直後から、人々が薬局に殺到し、在庫がすべて売り切れました。  □ 州内の占領された街の親たちからは、商店は仕入れができないため、食料や飲料水がなくなってきているとの報告がありました。また、薬局も薬剤がないため閉まっています。占領軍は人道支援物資の通過を許さず、また、支援物資を社会的に保護されていない人々に配給しようともしません。 □ 私たちの街には、すでに避難民を乗せた最初のバスが到着しており、ボランティアが この人たちを助けるために、自費で食料や医薬品を購入しています。 □ スーパーの営業時間は9時から16時、まれに17時まで営業し、営業時間が終わるころ棚は空っぽになります。 □ ここではいくつかのボランティア団体が活動しています。私たちの家族は、まだ社会 保護サービスの支援を受けています。 □ 今、どのようなニーズが優先されるのか、あるいはすぐに必要になるのか、判断が難しいところです。私たち家族は難しい選択を迫られています。 - 家にいて、自分の街、家、子どもや家族を守る準備をする。 - 他の人と一緒にウクライナ西部や国外に避難する。ただし、避難先には私たちや子どもたちを待ってくれる人はいない、私たちは大きな社会負担となるかもしれない、としっかりと自覚しながら。 □ 家を出ることを決めたのは、数件の家族だけでした。なぜなら、避難することで、自閉症の子どもや若者は体調を崩し、状態を悪化させるからです。 ザポリッジャ ジトーミル(Zhytomyr)州 3月4日、ジトーミル州 □ 私は、社会的に弱い立場にある子どもや若者を支援する、慈善団体の代表を務めています。私たちは、知的障害のある人、身体障害のある人のためのデイセンターを開いています。また、障害のある子どもや若者の身体的なリハビリテーションにも取り組んでいます。 □ 今は戒厳令のため、プログラムを行うことができません。電話で連絡を取り、必要であれば、ボランティアが訪問しています。あと数日戦争が続けば、食料品もなくなり、個人の衛生用品も必要になります。 3月16日 ジトーミル州 □ 避難できる障害のある人や子どもは、すでに街を出ています。身体にまひがある人、車いすの人の移動に必要な特別な車両が不足しているため、重い障害のある人が取り残されています。ボランティアは全力を尽くしていますが、その人たちには避難のための車両が必要なのです。 3月16日 ジトーミル州 □ 昨日、私たちの街に爆弾が落ちました。1人が死亡し、3人が負傷しました。 □ 私たちの団体は活動しており、連合を通じて直接支援物資も受け取っています。また、外国人のボランティアがひとりで人道支援物資を集めてくれています。 □ 人道支援センターがあり、そこでは子どものIDカードを持っているか、障害のある人ならば、必要なものを求めることができます。しかし、何でもあるというわけではなく、また、どこにでもこのようなセンターがあるというわけでもありません。 □ 私たちは、寄付者からの支援物資をすべて、団体のメンバーで分配しています。現在、メンバーは障害のある人128人とその家族です。戦争になる前は202人のメンバーがいましたが、今ウクライナに残っているのは128人です。戦争前は知らなかった人たちも、今私たちのところに来ています。 3月16日 ジトーミル州 □ 多くの家族がウクライナに残りました。親戚と住むために村へ行った人もいるし、街に住み続けている人もいます。団体のメンバーは25家族ですが、もちろん全員が支援を必要としています。 □ 国外に避難した人もいますが、住居、食事、リハビリテーションなど、さまざまな困難を抱えています。 □ 子どもたちは四方を壁に囲まれ、普通のコミュニケーションもとれません。爆撃の後、多くの人が外に出ることを怖がっています。今まで築いてきたものがすべて無に帰しました。 3月17日 ジトーミル州 □ 状況はまあまあ落ち着いています。警報は昼夜を問わず頻繁に鳴っています。ジトーミル市や他の地域はロケット弾や爆弾による攻撃に悩まされています。市民防衛隊が一部を打ち落としています。ウクライナ軍がしっかりと空を守っていてくれ、私たちは翌日にロシア軍のミサイルや飛行機が迎撃されたことを知ります。私たちは防衛隊にとても感謝しています。 □ 食料事情は普段とあまり変わりません。店や市場では、必要なものはほぼすべて買うことができます。医薬品の入手は少し問題がありますが、州はすぐにすべての薬局に医薬品を提供することを約束しています。医薬品や食料は、市内のボランティアセンターで手に入れることができ、その量は現在十分あります。衣類や衛生用品もこれらの団体で入手することができます。 □ ほとんどの家族は市内に滞在しており、約40家族です。私たちの最大の問題は、知的障害のある2人の子どもを持つある家族のことです。彼らはロケット攻撃で家を失いました。この家族は地方の村へと避難しましたが、家が破壊されたので帰って来ても住む場所がありません □ 私たちの団体の他のメンバーは、みな自宅に留まっています。警報が出ている間は、地下室や浴室に隠れています。恐怖はありますが、みんなもう怖がることに疲れてきています。一日生き延びることができ、神に感謝しました。 ウクライナ国外 3月23日 チェコ(Czechia) □ 私は幼い子どもたちとチェコにいます。仕事はまだ見つかりません。この国にはインクルージョンがありません。子どもはヘルパーだけが幼稚園に連れて行くことができて、残念ながら、私はヘルパーにはなれません。早く求人募集があり、すぐに働くことができるよう願っています。 □ 皆様のご支援で、しばらくは外国で生活し、オンラインで授業を続けることができます。本当にありがとうございます。ウクライナに栄光あれ!私たちは皆、勝利を待ち望み、 母国ウクライナに帰れることを待ち望んでいます。 3月23日 ポーランド(Poland) □ この子は今、本当に子どもたちに手を差し伸べているのです。周りの子どもたちはウクライナ語がわからないけど、一緒に遊んでいます。ポーランド語も覚えなくてはなりません。 □ しかし、私たちにとって問題もあります。それは、私の子どもが特別な学校、特別な 幼稚園に入れられてしまいました。この子は適応能力があり、キーウでは普通の幼稚園に通っていました。しかし、ここポーランドでは、彼の行動の一部が問題視されました。そのため、私たちは専門的な学校を探しています。  息子は6歳で、もう小学1年生です。私たちは彼のために特別学校を探していますが、見つけるのがとても難しいです。まずは、住む家を探さなければなりません。最低でも6ヶ月は借ります。ここには特別学校はほとんどなく、ほとんどがポーランドの子どもたちのためのものです。 □ ある有料の幼稚園に行ったところ、この子を受け入れることに反対はなかったのですが、その幼稚園にはウクライナ語を話す先生がいなく、意思疎通が問題となる可能性があります。今、彼らは、あと数人の子どもと先生1名を緊急かつ急ピッチで募集しています。 □ 2月26日からポーランドのある家族と同居していますが、この家族には負担をかけていると思います。彼らは私たちのためにすべてを通訳し、ポーランド語に関するすべての問題を解決してくれています。 □ 子どもを預けるために、30通以上のメールを送りました。息子を預けるところが見つかれば、それが家を探し、仕事を探す出発点になります。私たちは難民認定を受け、新たにポーランドに負担を掛けたくないのです。ポーランドは今、私たちの仲間の世話で手一杯です。しかし、これが私たちの置かれた状況なのです。  もし私があきらめ、子どものための機会を見つけられなければ、私もまた、仕事を得る機会を失うことになるからです。だから、どうしてもそうしたいのです。普通の学校に行くのはいいのですが、言葉の問題もあるし、彼のストレスもたまるでしょう。 □ ポーランドでは、まだ、すべての書類をポーランド語に翻訳し、公証人が証明する必要があります。これに要する費用は安くはなく、時間もかかります。委員会までの時間がなく、キーウで2月25日までに承認されなければなりませんでした。これによって私は、 息子の特別なニーズに関する書類を手に入れることができます。息子は、専門家による診察は受けましたが、彼のニーズに関する文書がありませんでした。そのため私は、どの施設が彼にとって最適なのか明確にはわかりません。また、委員会の結果も求められています。少なくとも私たちは、この委員会をオンラインで行う用意はあります。私は、ウクライナ当局に電話しました。これがなければ、私は子どものことも決められず、仕事を探すこともできないからです。 □ その他の生活面では、ポーランドの人はとても親切で、何も必要ないのですが、私としては負担にはなりたくはないのです。また、自分の居場所を見つけ、自分の人生を全力で生きたいのです。 どのようにしてこれらの証言を得たか  戦争が始まる前、連合はインクルージョン・ヨーロッパに連絡を取り、知的障害のある人とその家族の置かれた状況について注意を喚起しました。また、開戦前の状況下でどのような影響を受けているのかを説明しました。  戦争が始まっても、インクルージョン・ヨーロッパは連合と緊密に連絡を取り合いました。また、連合のメンバーに直接連絡し、コミュニケーションをとるようにしました。  ウクライナ語とロシア語を話すスタッフ2名が、電話やメッセージアプリでこれらの団体にコンタクトしました。劣悪な接続環境、先方が避難をしなければならい等、通信は困難を極めました。 インクルージョン・ヨーロッパが連絡を取った、ウクライナの団体の所在地 全ウクライナ知的障害者NGO連合 (All-Ukrainian NGO Coalition for Persons with Intellectual Disability) 連合には、ウクライナ全土から118の地方団体が加盟しています。 - ほとんどが知的障害のある人の家族の団体です。 - 合わせて14,000の家族を代表しています。 - 連合は、2019年からインクルージョン・ヨーロッパのメンバーとなっています。 正式名称:全ウクライナ知的障害者NGO連合 - ディレクター ユリア・クレペッツ(Yulia Klepets) - 会長 ライサ・クラフチェンコ(Raisa Kravchenko) - ウェブサイト:www.inteldisabilities-coalition.com.ua 2