特定非営利活動法人技術支援開発機構 副理事長 河村 宏(かわむらひろし)
1986年にIFLA(国際図書館連盟)の大会が東京で開かれた折に、世界の点字図書館関係者と日本のオーディオ産業の代表者が出席する「専門家会議」を開催して、デジタル録音図書について検討しました。視覚障害者は、録音図書を使って何かを調べる時に、読むべき場所を探すのに苦労していました。録音図書提供団体は、日々劣化し、数十年の間には完全に聞こえなくなってしまうカセットテープに代わる長期保存が可能なデジタルシステムを切望していました。今振り返ると、誰もが回答を産業界に求め、CDやDATなどの新しい商品の評価に追われていて、理想的な録音システムを自らの手で作り出せるとは思っていませんでした。自分たちの手で理想のシステムが作れることに気づくまでには、その後数年の歳月が必要でした。
1990年代初めにスウェーデンで開発を始めたデジタル録音図書をDAISYと名付けたラーシュという弱視のシステムエンジニアは、自分のITの知識と視覚障害者としてのニーズを結びつけて、パソコンで作り、パソコンで再生するシステムを考案しました。この着想を評価して実際に使えるシステムにするための開発費を提供したのはスウェーデンのTPB ⅰ)です。こうして学生と専門家を対象にした初代DAISYが1993年に試作されました。同じ時期に、「世界に出しても恥ずかしくないよいものを作りたい。長い時間をかけて結果として採算がとれればいいのです」とおっしゃった金子八郎社長(故人)が率いる「シナノケンシ株式会社」が、音声データ圧縮技術を活かしたデジタル録音図書再生機の試作を始めていました。
当時、IFLAの視覚障害者サービスを担当する専門委員会の責任者を務めながら、大学に在籍する視覚障害者のために主に米国から録音図書を借用していた筆者には、将来のデジタル録音図書の互換性の確保が必須であることは自明でした。
1995年4月、カナダで開催されたデジタル録音図書をめぐる国際会議に、筆者はシナノケンシが作った試作機を持って参加し、スウェーデンからはTPB館長とDAISY開発チームが参加していました。この会議では、米国議会図書館の視覚障害者サービス部門のトップが、私が持参した試作機の紹介を拒否したことに対して、彼のスタッフも含む多くの参加者から強い批判があり、彼は「米国の利用者は現在の録音図書に満足しており、今後十年間はシステムを変更しない」との弁明を行って米国主導のデジタル録音図書の導入を期待していた世界中の参加者を落胆させました。標準化の期限は切迫していると判断した筆者は、同会議に参加していたIFLAの役員の緊急集会を招集して、①2年以内に国際標準化を図ること、②その目標達成のために国際共同開発組織を発足させること、の2点を確認しました。
そして1996年5月にDAISYコンソーシアム(以下、DC)が日本、スウェーデン、イギリス、スイス、オランダ、スペインの6か国で結成され、同時に日本政府の研究開発資金によるDAISYの国際評価試験への助成が決定しました。それ以後、筆者はDCの暫定プロジェクト・マネージャーとして、32か国延べ1,000人の視覚障害者が10タイトルのDAISY録音図書を実際に読んで評価を行うプロジェクトを進めながら、ドイツ、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランドのDC加入を促進しました。
国際評価試験たけなわの1997年3月、ロサンゼルスで毎年開催される「技術と障害」と題する大きな国際会議で、DAISYは初めてアメリカで大々的に紹介されました。当初、DAISYに対抗するような雰囲気で出展していた米国のRFB&D ⅱ)と相互に展示ブースを訪問し合った結果、この時出会ったRFB&D側の3人の技術者は、後に、これを境に「人生が変わった」と述懐していますが、実はDAISYの方も大きな影響を受けたのです。
国際評価試験で利用者の圧倒的な支持を得た機能を有するDAISY録音図書と米国側が培ってきた電子化したテキストを駆使する技術とを、当時急速に台頭していたWebのマルチメディア技術でどのように統合するのかが課題でしたが、1997年5月に、スウェーデンの湖畔の都市シグツナに当時の世界の最先端の開発者の参加を得て開催した会議(以下、シグツナ会議)で統一のための技術的な見通しがつきました。そして、1997年8月のIFLA大会前夜に開催したDC総会でRFB&DはDC加入を果たし、Web技術を用いたDAISYの仕様を開発するためにRFB&DのG.カーシャーを専任のプロジェクト・マネージャーとして雇用することができました。
シグツナ会議以後、筆者は、スウェーデン、アメリカ、日本の3か国の企業による技術開発コンソーシアムと連携してシグツナ・プロジェクトとしてWeb技術によるDAISY関連ソフトウエアの開発と、SMIL(Synchronized Multimedia Integration Language)という新しいW3C ⅲ)の標準規格の開発を強力に促進しました。DAISY図書と編集済みの読み上げ音声が聞けるEPUB図書が、読み上げている部分をカラオケのようにハイライト表示できるのはこのSMILのおかげです。
1998-2000年には、厚生省補正予算によるDAISYの全国的な導入を日本障害者リハビリテーション協会情報センターが実施しました。補正予算という厳しい時間的制約のある中で、世界で誰も経験したことがないこの難事業の実施に多大のご協力をいただいた皆様に深く感謝しています。この事業は、500ユニット以上のDAISY録音図書製作システムと8,800台のDAISY再生機とを全国に配置し、全国の点字図書館に2,580タイトルのDAISY図書と601タイトルの法令書をそれぞれCD-ROMに収めて配備しました。事業のしめくくりに発行した『デイジー録音図書目録』(大活字版:2000年3月)には「学習障害や知的障害の人々にもデイジー図書は有効と思われますが、著作権の壁が厚く立ちふさがっています」と、次の展開を阻む著作権問題を示しましたが、この問題の解決には、以下に述べるDCによる国際連携を通じたグローバルな取り組みが必要でした。
DAISYの技術を実際に使えるようにするための法整備にもDCは国際的に連携して取り組み、大きな成功を収めてきました。
DCが障害者グループを代表して世界情報社会サミット(以下、WSIS)に提案したユニバーサル・デザインに基づくデジタル・ディバイド解消戦略は、WSISの成果文書に採用されるとともに、WSIS直後に成立した障害者権利条約においても差別解消戦略として採用されています。また、障害者権利条約第30条に「締約国は、国際法に従い、知的財産権を保護する法律が、障害者が文化的な作品を享受する機会を妨げる不当な又は差別的な障壁とならないことを確保するための全ての適当な措置をとる」という一項を設けることにDCが大きく貢献しています。これは、日本で2010年に実施された著作権法抜本改正と、国際的レベルではマラケシュ条約成立との基盤となっています。
DAISYコンソーシアムは、EPUB規格に基づいてDAISYと同等のアクセシビリティを有する電子書籍を作ることができるようにEPUBの技術開発を進めています。その結果、現在日本で25,000人以上のディスレクシア等の児童生徒が使っている「デイジー教科書」は、すでにEPUB規格を使って作られています。多くのDAISY図書閲覧システムは、DAISY図書とEPUB図書の両方に対応しているため、利用者は、両者の違いを意識せずに使っています。
欧州アクセシビリティ法が今年6月に施行され、欧州諸国ではアクセシブルでない電子出版は違法になりますので、アクセシブルなEPUBの出版が爆発的に普及すると思われます。障害者の読書ニーズに応えるために創造されたDAISYが「障害者からの世界の人々への贈り物」(故ブンタン上院議員)であることを、欧州諸国の人々が一足先に証明するであろうことを確信します。
注:
ⅰ) スウェーデンの国立点字図書館。現在はMTMと改称。
ⅱ) Recording for the Blind & Dyslexic:視覚障害とディスレクシアの学生に教科書や専門書を録音して提供していた団体。現在はLearning Allyと改称。
ⅲ) World Wide Web Consortium(ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム)は、Web技術の標準化を推進する国際非営利団体。